なぜ、セミリタイアを決意したのか

こんばんは、かちかち55です。
今日はパンジー(通称:パンちゃん)メス2歳のオカメインコを掲載しました。🐥
私と同じでセミリタイアを考えているみなさん、いかがお過ごしでしょうか。
さて、今日は「私はなぜ、セミリタイアを決意したのか」を述べたいと思います。
一言では言い表せないのですが、この3つが大きな要因です。
- コロナ禍でリモートワークに慣れてしまった
- 実家が罹災した
- 会社の転籍により大きく環境が変わった

まず、一つ目のコロナ禍でリモートワークに慣れてしまった
これはみなさんにも当てはまることが多いのではないでしょうか。
当時、私が勤務していた会社はコロナ禍初期に原則フルリモート勤務になり、職種によっては出勤しないとできない業務もありましたが、私の場合は幸運なことにフルリモートでも業務に支障のない職務でしたので、ZoomやTeamsを使用しながらすべての業務が滞りなくできました。
これまで事業所を離れていたメンバーたちとコミュニケーションをとることはあまりなかったのですが、かえって、オンラインミーティングが普及したことでコミュニケーションが密に図れたという相乗効果もありました。
コロナ禍後も私はフルリモート勤務を続けられ、結果、4年以上、ほぼリモート勤務でした。数か月に1度、出勤する感じでした。この時、強く感じたことはあくまでも私の仕事という前提ですが、「出勤しなくても仕事ができることが分かった。むしろ、往復の通勤時間約3時間の無駄を痛感した。」ということでした。
なので、この環境は外せなくなったというのか1つ目の要因です。
2つ目、実家が罹災したこと
2024年元日に起こった能登半島地震、私は帰省をしておらず実家にいませんでしたが、マグニチュード7.6、最大震度7という大地震に加え、大津波警報が発表されるという富山県では前代未聞の非常事態に。
実家は海沿いにあり、母親は生きた心地がしなかったと後日言っていました。そりゃそうですよね。
日本海側で育った私は地震に伴う津波は太平洋側のものだと思い込んでいましたし、そう思っている県民は多いと思います。
当日は携帯電話がつながり母親の安否確認ができたのですが、その日は避難所で宿泊をしたとのこと。津波の被害はなかったものの、家は少し傾き玄関や室内のドアが開かず、敷地内のコンクリートが割れ、外壁に大きな亀裂、内壁も崩れ落ち最低限の家の修繕は必須の状態になりました。
中でも家の傾きが一番の懸念です。ビー玉が転がるくらいの傾きで、現在の豪雪で倒壊しないかとヒヤヒヤしています。





※罹災後の実家、母親が撮影
この罹災を機に、改めて人生のあり方を見つめなおし、一人息子で一人親の母親へのケアやいつ何が起きるか分からない世の中で「残りの人生を謳歌したい」と思ったのが2つ目の要因です。
最後の3つ目、会社の転籍により大きく環境が変わったこと
これが一番強い要因かもしれません。
これまで約25年、ずっと同じキャリアを歩んできました。経営よりの管理系職種です。
社歴はバックパッカーに近く複数社経験していますが、どの会社も同じ職務でした。
ところが、自分の意図しないタイミングで転機がおとずれました。転籍です。
会社の事情でかなりの人数が転籍することになり、結果、転籍先では今までのような環境で仕事をすることができなくなりました。
転籍先もある程度はこれまでの事情を汲み取ってはくれており、現在はリモートで勤務をしていますが、職務はこれまでの経験があまりいかせない業務になりました。
リモートワークもこちらからの要望を受けてもらっている状況であり、肩身も狭く、これまでの経験がいかせないとなると、今の会社で働く意義が見い出せなくなりました。
とはいえ、これがきっかけで自分のキャリアを見つめ直すことができたことは大きな収穫でした。
これまで当たり前のようにしていた25年の仕事、適性がある、得意だと思っていた仕事について誤解をしていたことに気づきました。
好きでやっていたのではないと。
これからもこの仕事がしたいのかと自問自答をし、一つの結論を出しました。
これまでのキャリアはいったん捨てようと。
次回は、これら3要素をクリアできる自宅でできるセミリタイア後の職業などについて述べたいと思いいます。
どうぞよろしくお願いいたします。
